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「エネミー・オブ・アメリカ」の世界が現実に(2)
〜番号制はアイデンティティーの否定〜


番号制はアイデンティティーの否定

 6月25日早朝、岩手県議会議員の自殺体(と思われる)が発見された。彼は県立病院を受診した際、番号で呼ばれたことに腹を立て、「刑務所に来たんじゃない」「会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません」などと自身のブログに書き込んだことで非難が殺到し、いわゆる「炎上」状態になったようだ。
 まあ会計をせずに帰ったのは避難されてしかるべきだが、彼が番号で呼ばれ、「刑務所に来たんじゃない」と言ったこと自体はそう非難されるべきことではないだろう。
 なぜ、刑務所では名前ではなく番号で呼ばれるのか。そのことをもっと考えるべきだろう。

 刑務所では収容者が名前で呼ばれることは一切ない。名前の代わりに番号が割り当てられ、そこにいる間は番号でしか呼ばれない。本来、人は名前、正確に言えば姓名で呼ばれているが、刑務所に入った瞬間から個人を特定する名前は抹消され、数字の羅列にすぎない番号で呼ばれることになる。そして、それは刑務所を出るまで続くのだ。
 これは個人にとって屈辱以外の何物でもない。名前とは個人を特定するものであり、アイデンティティーである。それが本人の過去の歴史、個性、人格などを一切取り去った番号を与えられ、以後その番号で呼ばれるのだ。それは意思を持った人間ではなく、機械と同じ扱いをされているのである。ここにこそ番号制の意図がある。お前達は犯罪者であり、人間ではない。だから名前は必要なく、機械と同じように番号で呼ぶ、というのが権力側の意図である。

 今この番号制があらゆる所で導入されつつある。銀行に行けば「番号札をお持ち下さい」と言われ、番号が来たら呼ばれる。それでも銀行では通帳その他を受け取る時には番号に続けて名前を呼ばれるから、すべてを機械扱いしているわけではなさそうだ。(銀行窓口の番号制の問題については、HP内の「栗野的視点」「銀行の制服に思う」で触れているので、そちらを一読願いたい)

 最大の問題は2013年5月に成立した「国民総背番号制」(いわゆるマイナンバー制)である。国民総背番号制は1970年代から自民党が導入しようと試みていた制度だが、IT時代の到来と相まって便利さを前面に打ち出した、一見もっともらしい理由で自・公・民等らの賛成多数で可決されてしまった。
 利用が開始される2016年1月から、国民一人ひとりに番号が割り当てられ、その番号の下、我々の個人情報は一元管理されることになる。
 もう少し平たく言えば氏名、生年月日、住所、本籍等の情報に始まり、免許証、健康保険、雇用保険等の各番号がICカードですべて一元管理されることになる。当然、そこには病歴、犯罪・補導歴や、図書館でどういう本を借りたかまでが記録されることになる。
 要するに個人情報の全ては国家に握られるわけで、ICカードがなんらかの方法で不正に利用されれば個人情報が丸裸にされる程度ではすまず、その個人は社会的に存在を抹殺されるに等しくなる。

 自己(本人)証明をすることは比較的簡単だが、「存在証明」をすることは非常に難しい。例えば運転免許証やパスポート、健康保険証などを提示することで、目前にいる人間は本人であると証明され、不在配達郵便物を郵便局で受け取ることもできるが、それら身分を証明する一切のもの、今後はマイナンバーが登録されているICカードになるが、それを紛失した場合、郵便局で郵便物を受け取ることはおろか、クレジットカードの不正使用をストップしてもらうことも、預金口座の開設あるいは凍結、ケータイ電話の加入等、身分証明書の提示が必要なことは一切できなくなる。
 そればかりか逆に不正行為を行おうとしている者として逮捕される。そうなるとさらにややこしくなる。自分はAという人間なのに、Aであると証明するものが一切なく、非A(仮にBという人物)がAとしてAのあらゆるものを所有し、使用している。
 それに対しBはAではなくAに成りすましているだけだ。本当のAは私だと主張しても、AがAであることを証明するマイナンバーは盗まれたICカードの中に入っている。しかも、その瞬間にもAのマイナンバーをBが使用していれば、BこそがAであることになる。
 話がややこしくなるが、要はいまここに存在している自分こそが本人だということを証明するのは非常に難しいのだ。そんなことは簡単。友人、知人に証明してもらえばいい、と思われるかもしれないが、友人、知人の証言が嘘ではなく本当だということを今度は証明しなければいけない。それはどのような方法で行うのか。
 まさに映画や小説の世界がいま現実になりつつある。

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